2.「日本語訛り」 10年以上オーストラリアに住み日常生活は英語漬けの環境にある、って書くと自慢げでかなりイヤミに聞こえるけど、実際の自分は不正確でコテコテの「日本語訛り」の英語をいまだに話している。「オーストラリア国内でも結構いろんな訛りがあるし、同じ英語圏の国々でもいろんな訛りがあるから、今さら日本語訛りの英語を直そうという必要性を感じないからだ。」といつも言い訳している。 第1言語(母国語)を習得した後に第2言語(外国語)を学ぶ人たちは、一般的に第1言語の似た音を代用して第2言語に当てはめるそうだ。これはどんな言語圏の人たちにも当てはまるそうで、日本人が英語を習得する際のいわゆるカタカナ的発音がその良い例じゃないかな。よく世間では「日本人には英語の母音の違い以外ではRとLが難しい。」とか言われているけど、自分はいまだW、H、Sの音すらきちんと発音できない。できないことを自慢するわけじゃないけど、僕は日本語の近い音を代用して英語の音に当てはめている典型的な一人なのだ。 はっきり言って、日本人とオーストラリア人では言語の音の出し方がまるっきり違う。舌の使い方以外にも、息の使い方、口の筋肉の使い方、声の響かせ方が根本的に違う。日本語訛りを取り除くには、音の出し方からスタートする必要がある。 話は変わり、2006年9月、地元ディジュ・ショップのオーナーのさんし君から「Gapanbuluがパースにいる。」と連絡があった。「えっ、まさかあのGapanbulu????」GapanbuluとはYothu Yindiの現在のイダキ奏者の一人Gapanbulu Yunupinguのことで、Yothu Yindiの歴代のイダキ奏者の中で最も在任期間が長いことでも知られている。2000年のシドニー・オリンピック閉会式で、その勇姿をみたことがある人もいるんじゃないでしょうか。その彼がこちらパースに一時的に住んでいるのだ。これはもう卒倒しそうなくらいの驚きだった。前にも言ったけど、パースは田舎なんで、日本に住んでいるよりもアーネム・ランドのアボリジナルの伝統に触れる機会が少ないのだ。僕のヨォルングの姉さんとGapanbuluはゴーブで一緒に仕事をしていたし、同じGumatjクランだから彼のことをGutharra(同じ半族の孫)と呼ぶように言われていた。でも、25歳のイダキ・マスターの一人を孫と呼ぶのは躊躇してしまう。
それは、最終的にはヨォルングとノン・ヨォルングのイダキの音の違いは、ネイティブの英語とノン・ネイティブの英語の発音の違いと同じってことだ。音の出し方が根本的に違う。舌の図解を見て「dith-dhu dhirrl dhirrl」を必死に練習しても日本語の強い訛りは抜けない。僕も訛りがある。多くの日本人が英語の習得で、ありとあらゆる手段を使ってネイティブに近づこうと勉強しているけど、やはり日本語訛りが残っている。イダキも同じだ。ヨォルング・スタイルを学んでいる世界中のイダキ吹きが、母国語の訛りと格闘しているはず。個人的にはイダキの音の訛りは各自の個性で大切だと思うけど、その訛りを活かして自分の音を作るか、それとも訛りを少しでも矯正してヨォルングの音に近づくか。いずれにしても、自分の訛り(音)を自身で客観的に聞いて、その特徴を知ることが面白い。 |トップへ|
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