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Mandji's Wangga
ジャケット写真
NO IMA-CD4
Artist Billy Mandji and more
Media Type CD-R
Area Belyuen
Recorded Year 1959-1988
Label Sydney University Press
Total Time 26:10
Price 13,200yen(7CDs set)
Related Works
Wurrurrumi Kun-borrk Barrtjap's Wangga Mulluk's Wangga Lambudju's Wangga Walakandha Wangga Ma-yawa Wangga
Wadeye出身でBelyuen在住という異色のソングマンBilly Mandjiのおだやかでハートウォーミングな唄声が、7曲も収録されている「Happy (Lerri) Song」にマッチする。名曲多数!

■前置き
■Mandji's WANGGA
■ライナーの翻訳

Billy MandjiはWadeye周辺のMarri Tjavin語のソングマンですが、Marri Tjavin語があまり使われないBelyuenコミュニティに長年住み続けていた。そのため、Belyuenコミュニティの前の世代のソングマンたちの唄を多数引き継いでおり、彼自身も多作家のソングマンでした。

Mandjiは、希代のソングマンJimmy Muluk(CD3)のバックアップ・シンガーとして活躍するなど、Tommy Barrtjap(CD2)Bobby Lane Lambudju(CD5)など、20世紀のBelyuenコミュニティのWANGGAを牽引した錚々(そうそう)たるソングマンたちと同時代を生きた。

彼の唄をもっとも有名にしたのはAlice M. Moyleが60年代に録音したトラック6の「Happy (Lerri) Song」でしょう。この曲は「Songs from the Northern Territory vol.1(LP/CD)」に収録されており、メロディーラインの美しさ、牧歌的なハッピーなムードと同時に、サウダーヂ的な憧憬を感じさせる珠玉のWANGGAソングです。

このCDにはTommy BarrtjapやJimmy Mullukら他のBelyuenコミュニティのソングマン達のレパートリーでもある「Happy (Lerri) Song」が多数収録されており、そのバージョン違いが別の曲と思えるほど違うメロディーで唄われていています。

ライナーには「葬儀という厳粛な場であるのにハッピーなムードの唄が演じられるのは、葬儀に参列する悲しみに打ちひしがれている人たちを癒すためなのかもしれません。」とあり、このLerriソングの重要性を感じさせる。

彼の出自と実際に住んでいた場所とのギャップにMandji自身のライフストーリーがあると思われるが、ライナーでは明らかにされていません。言語も異なり、自分のホームランドからも遠く離れたBelyuenコミュニティで長い時間を過ごした彼が、その地のソングマンから多数の唄を引き継いでいることも非常に興味深い。

ソングマンとしての器量が認められ、しかもMandjiの人柄といった彼の個性が無ければそういったことは起らないでしょう。このCDを聞くと、Mandjiの唄から彼の人柄がにじみ出て来るような、やわらかく暖かい、そしてBelyuenのWanggaソング特有の切なさを感じます。

  ※1. このディスクは出版元ではCDと表記されていますが実際はCD-Rです。お手元でバックアップを取っておくことをおすすめします。

  ※2. このCDは8枚組(7セットで1つは2枚組)の「Wangga Complete CD set」の一部です。単体での販売はしていません。

■前置き

WANGGAはオーストラリア北西部に位置するDalyエリアのパブリックなダンスソングの1ジャンルです。その唄はDaly Riverの北と南の河口に横たわる土地に根ざす。このCDは50年以上WANGGAを作曲し、演奏してきたソングマンたちにフォーカスしたシリーズの一つです。さらなる情報は、私たちの本「For the Sake of a Song」(Marett, Barwick and Ford, 2013)とウェブサイトwangga.library.usyd.edu.au.で閲覧できます。

「唄を与えてくれるゴースト(Mulukの話すMendhe語で「ngutj」)」が、ソングマンの夢見の中でそのソングマンに歌いかけてくることでWANGGAソングは生まれる。けれど、そこで唄われる言葉はゴーストの言葉であると同時にソングマンの言葉でもある。それはゴーストがソングマンに教え伝えたことをソングマンが聞き手のために唄うことで今に再生させているからだ。このことは、葬儀において生者の世界から死者の世界へと故人の葬送の手助けをするために、ソングマンが二つの世界の間にある空間を作り出す。

われわれがこのCDに収録することができた11曲は、Alice Moyleによる1959年・1962年・1968年の音源とMarettによる1988年の音源がベースになっていて、おそらくMandjiの唄のレパートリーはよりも広大なものであると考えられる。Billy Mandjiの唄は、彼の息子たち(西洋的な命名法では兄弟の息子、あるいは甥)であるColin Worumbu FergusonとLes Kundjil、Jaminjung語のシンガーMajor Raymond、Wadjiginy語のシンガーKenny Burrenjuck、そしてMandjiの娘(兄弟の娘、姪)であるMarjorie Bilbilが唄い継いできた。記録保管的研究において奮闘いたしましたが、Mandji自身による不明な録音がいまだあるかもしれません。唄を文字起しした原文とその翻訳が、それぞれの曲毎にその文化的背景と共に説明されています。さらなる情報と分析は前述の書籍の第6章で知ることができます。

■Mandji's WANGGA

Billy Mandjiは多作家でBelyuenコミュニティで人気のソングマンでした。彼の唄が最初に録音されたのは1959年Alice Moyleによるものでした(1962年、1964年、1968年にも再録。録音の一部は「Songs from the Northern Territory vol.1」を参照ください)。Mandjiが亡くなる少し前の1988年にAllan Marettが最後の録音をしました。Mandjiはあちこちを旅し、Kununurra、Timber Creek、現在はBarungaと呼ばれるBeswick Creekでも録音されています。

MarettはMandjiに会って録音したのだが、Mandjiの唄の記録文書化には立ち会ってもらうことができなかった。ここで紹介されている唄の翻訳と解説のすべては、特にMandjiのすこぶる聡明な娘Marjorie Bilbilなど、Mandji以外の人との作業の結果です。また、Billy Mandjiのレパートリーの音楽的慣習を評価する際には、それが限定的な数の唄をベースに一般化されているということを忘れてはならいない。

Billy Mandjiは彼自身の唄を作曲することに加えて、Robert Man.guna、George Ahmat、Appang WanggigiらEmmiyangal(Dalyエリア西部のEmi語を話す人々)の兄弟たちから唄を受け継いている。そのため、彼の唄のいくつかはEmmi-Mendhe語の唄です。ここに収録されている中では1曲だけが彼自身の言語であるMarri Tjavin語で書かれていて、彼の唄う唄の多くは(意味に関係のない音声としての)単語の歌詞(ゴーストの言語)だけで書かれている。MandjiはMarri Tjavin語があまり使われないBelyuenコミュニティに住み続けていた。翻訳できないゴーストの歌詞を彼が多用していたということは、おそらくそういった現実に対処する戦略だったのかもしれない。Billy MandjiはJimmy Muluk(CD3)のEmmi-Mendhe語の唄も唄っていたし、Mulkuのバックアップ・シンガーとしての役割もになっていた。また、当時Belyuen(Delissaville)コミュニティの人々がDarwinやCox半島のさまざまな場所で行なっていた観光客向けのカラバリー(アボリジナルの唄と踊り)の有名な出演者でもあった。

■ライナーの翻訳

1.Duwun| 2.Duwun| 3.Happy (Lerri) song no.1| 4.Happy (Lerri) song no.1| 5.Happy (Lerri) song no.2| 6.Happy (Lerri) song no.3| 7.Duwun crab song| 8.Karra mele ngany-endheni-nö| 9.Song from Anson Bay| 10.Song from Anson Bay| 11.Robert Man.guna's Song| 12.Happy (Lerri) song no.4| 13.Happy (Lerri) song no.5| 14.Happy (Lerri) song no.6

※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。

トラック1

Song 1 : Duwun

    dagan mele dagaldja dagan mele nele
    dagan mele dagaldja dagan mele nele
    ee

    karra duwun-ngana-yi
    gidji-djedjet-mandha-ya
    karra ka me-yi


    ‘Dagan mele dagaldja dagan mele nele’
    This came from Duwun
    Where he sat down and sang that song
    That’s what he sang

この唄は20世紀前半に活躍したEmmiyangalのソングマンRobert Man.guna作曲で、Man.gunaの兄弟Appang Wanggigiの作ったシリーズの唄「pörrme(Emmi-Mendhe語で海)」に属する。Alice Moyleによって1962年Bagot(Darwin)にてはじめて録音されました。この唄は英語で「Indian Island」という名で知られるCox半島(Darwinの西に位置しBelyuenコミュニティがある)の西側にある島「Duwun」に呼びかけている。

歌詞は翻訳できないゴーストの言葉で書かれていて(一つめの詩句を2回繰り返しているが、最後の詩句では一回だけ唄われている)、Emmi-Mendhe語の歌詞が続く。「彼(唄を授けてくれるゴースト)」が座って唄っていたDuwun島からもたらされた唄だと伝えている。この唄の作曲者は自分が授かった夢のヴィジョンを自分の唄の中で表現している。1968年のAlice Moyleいわく、Billy Mandjiは「私は座ってDuwun島からもたらされた唄を唄った(nginen-djedjet-manhdha duwun-ngana-yi)」と語ったという。二番目の詩句が終わるとすぐにクラップスティックを早く叩く楽器だけの間奏部分がある。

トラック2

Song 1 : Duwun

このトラックの「Duwun」は1988年にBatchelorで行われた葬儀でMarettが録音したものです。MarettがMandjiの唄を録音できたのはこの時だけで、彼はすでに年老いていた。

四半世紀前にAlice Moyleが録音したトラック1と比べてみても、Mandjiの唄う「Duwun」がいかに変わってないかということに驚かされる。このバージョンでも1968年に録音されたバージョンの最初の二つの詩句の部分と、まったく同じ歌詞、同じメロディーで、同じクラップスティックのパターンで演奏されている。ゴーストの言語で唄われる歌詞の一つめの詩句の反復はずっと同じ歌詞で唄われている。

一番目立って違う部分は楽器だけの間奏部です。まず第一に、1962年のバージョンでは二番目の詩句が終わるたびに楽器の間奏部が入ってくるのだが、1988年のこのバージョンでは二つある詩句それぞれの後に楽器の間奏部が入っている。そして第二に、Mandjiはこういった楽器の間奏部でいろんなクラップスティックのパターンを叩いています。それには1962年の演奏はBagotコミュニティでBelyuenの人々のために唄っていて、1988年の演奏は全てのおおやけの儀式の場でWalakandha WANGGAが演奏されるPeppimenarttiコミュニティのダンサーたちのために演奏していたということがある。

Mandjiの唄をあまりよく知らないPeppimenarttiのダンサーたちとの演奏を成立させるために、Mandjiはダンサーたちがもっとも慣れ親しんだクラップスティックの叩き方、つまりWalakandha WANGGAソング(CD6)でもっとも多く使われるパターンを採用したと考えられる。Daly地域全体で演じることができるWANNGAのスタイルをMandjiが指示した、ということがわかる。

トラック3

Song 2 : Happy (lerri) Song No.1

    nye nye neylene nye nye nye nye
    nye nye neylene nye nye nye nye
    ngammanya-mu-viye ngammiya
    ngandhi mandha na-gurriny yakarre


    ‘Nye nye neylene nye nye nye nye’
    Let’s both always keep danceing (with our hands above our heads)
    That song of his, yakarre

1968年にMandorah(ダーウィンと海を挟んで対岸にあたるCox半島の北東端)での観光客向けカラバリーにてAlice Moyleが録音した「Happy(lerri)」ダンスソング。「lerri」ダンスソングはBarrtjapやMulukらBelyuenコミュニティの他の唄い手たちのレパートリーでもあり、テンポは速く、歌詞は高度に均整のとれた(意味に関係のない音声としての)単語で構成されている。

この唄のEmmi-Mendhe語(歌詞の3行目)の部分ではダンスを熱心に呼びかけている。歌詞の中の「頭の上に両手をあげて踊る」という部分は、女性のダンスの特徴で、Jimmy Mulukの唄「Pumandjin」(CD3)でも似たような歌詞が見られる。この録音の楽器だけの間奏部分ではダンサーの叫び声の音や地面を踏み鳴らす音が入っています。

トラック4

Song 2 : Happy (lerri) Song No.1

この短い儀式での演奏は、(2番目の詩句の1行目でのクラップスティックの停止をふくむ)多くの点で1968年のバージョン(トラック3)と同じ様式に従っている。ダンサーの声、死者を悼む親族たちの声が入っています。1968年の演奏の1分間の拍数(BPM)は138bpmで、この1988年の演奏が141bpmと、おそらく儀式の場で演奏されているせいかわずかにテンポが速い。葬儀という厳粛な場であるのにハッピーなムードの唄が演じられるのは、葬儀に参列する悲しみに打ちひしがれている人たちを癒すためなのかもしれません。

トラック5

Song 3 : Happy (lerri) Song No.2

    da ribene ribene ana anarra
    da ribene ribene ana anarra
    at bwat bwane ribene yenet di

「Happy Song No.1」同様、Billy Mandjiの二番目のHappy(lerri) Songでもクラップスティックを速く叩いているが、一つ目の詩句の終わりでクラップスティックが一旦停止する。すべての歌詞は翻訳することのできない「ゴーストの言語」で書かれている点は、他の「Happy Song」と共通している。トラック3の「Happy Song No.1」と同じタイミングである1968年MandorahにてAlice Moyleによる録音。

その年の後半にMoyleは録音を終え、Billy Mandjiはこの唄の歌詞の言葉を彼女に語った。Manjiが語った歌詞の言葉はばらばらの断片であり、実際に唄の中で使われていない言葉が混じっていたりして、実際に唄っている歌詞と彼が語った言葉は正確には一致していない。けれど我々にとっては唄われている歌詞を自信をもって文字起こしするのに十分な手がかりとなった。ゴーストの言葉である「ribene」は省略されて「rene」となることが多いようです。歌詞の1-2行目の「da ribene ribene ana anarra」という部分は強い鼻音で唄い、3行目の「at bwat bwane ribene yenet di」はしわがれ声で平坦な音質で唄っているのが印象的です。対話しているような、二つの声が互い違いになるような効果を付与している。

このバージョンは10回同じ詩句を繰り返す、ダンスを伴った長い演奏で、1回目の詩句以外はすべて楽器の間奏部分が入っている。

トラック6

Song 4 : Happy (lerri) Song No.3

「Happy (lerri) Song No.3」は1962年にBagotコミュニティでAlice Moyleが録音し、「Songs from Anson Bay」というタイトルで「Songs from the Northern Territory vol.1(LP/CD)」にも収録されています。Moyleは自身が1959年に録音したまったく別のBilly Mandjiの唄(トラック9-10)にも同じタイトルを付けている。もしかしたらMandjiは自分の唄の多くにこのタイトルを使ったのかもしれません。それはMandjiがたくさんの唄を受け継いだEmmiyangalとMendheyangalの人々の先祖伝来の土地が、Daly地域からDarwin南部のAnson湾の海岸に広がっているからかもしれません。

Happy Song No.2と同様、クラップスティック速いテンポで演奏されていて、歌詞のほとんどがゴーストの言語で書かれています。5つめの詩句で「karra ka-me-ngana-yi-gidji-djedjet-mandha-ya (これが彼が唄を授けてくれた時に彼自身が唄ってたことです)」というEmmi-Mendhe語が聞かれます。Emmi-Mendheを母語とする人たちと何時間も取り組んだにもかかわらず、確かな歌詞の書き起こしにたどりつくことができなかったので、ここに歌詞をのせることを断念しました。

トラック7

Song 5 : Duwun Crab Song

    yene ne yene ne
    yene ne yene ne
    karra ka-me-ngana-yi kaya


    ‘Yene ne yene ne’
    This song came from the one who is always singing this

トラック6同様、Emmi-Mendhe語の歌詞(2行目)で、先に唄った翻訳できないゴーストの言葉を説明している。「いつもこの唄を唄っていた人」つまりゴーストが、この唄をもたらした。

12詩句を繰り返すこの長い演奏は1968年にAlice MoyleがMandorahで行われた観光客向けのからバリーを録音したものです(Jimmy Mulukの唄も同じ時に録音された。CD3参照)。唄の背後に蟹の踊りを舞うダンサーたちの息づかいが聞こえる。曲中、ダンサーたちが蟹を取りにきてつかまえる様子を身振り手振りまねるが、歌詞はダンスの主題とは直接的はまったく関係がない。蟹のダンスは90年代を通じてMandorahホテルで行われたツーリスト向けのカラバリーの演奏に貢献した(違う唄ではあるけれど)。最後の詩句の後に一回だけ楽器だけの間奏部分がある非常に珍しい例です。蟹を捕まえたダンサーたちはWANGGAに典型的な足を踏み鳴らす動きで踊る。

トラック8

Song 6 : Karra Mele Ngani-endheni-nö

    nyele nye nyele nye [repeated]
    karra mele ngany-dndheni-nö
    ngawanya-bet-mörö-gumbu ngayi ya


    ‘Nyele nye nyele nye’
    This is for my brother now
    Le me always sing it for him all night long

    nyele nye nyele nye [repeated]
    karra mana ngindivelh-ni-bik-mi-ni
    kan-djen-ndja-wurri
    kan-gulukguluk
    kiny-ni-venggi-tit-ngangga-wurri kani


    You have to always look out for my brother,
    who is truly here now singing to us
    and who keeps coughing
    and who keeps appearing in ‘number four leg’ and
    singing to us whether we like it or not

    nyele nye nyele nye [repeated]
    karra mele ka-me-nganila-ngana-yi
    ngany-endheni-no¨ nganya-bet-mörö-gumbu ngayi ya


    This is from my brother who sang this for me now
    Le me always sing it for him all night long

    nyele nye nyele nye [repeated]
    karra mana ngindivelh-ni-bik-mi-ni
    kan-djen-ndja-wurri
    kin-verri-wut-wurri kani ya


    You have to always look out for my brother
    who is really here now singing to me
    and he keeps walking towards me

1988年に葬儀でMarettが録音しました。詩句1と3はMandjiの話す言葉の一つであるEmmi-Mendhe語で、詩句2と4はMandjiの祖先の言葉でありPeppimenartiからのダンサーたちの言葉でもあるMarri Tjavin語で書かれています。もしかしたらもともとは独立した二つの唄から作られているのかもしれません。Marri-Tjavin語の詩句2と4に続いて、二つの詩句ごとに楽器だけの間奏部が入っています

二つの言語を組み合わせている理由もふくめ、この唄についての多くを我々は理解していないが、ペアーになった二つの詩句の主題はあきらかに唄を授けてくれるゴーストであることはたしかだ。「兄弟」(Emmi-Mendhe語で「mele」、Marri Tjavin語で「mana」)という言葉は、この二つの言語と他のWANGGAソングで用いられる先祖の霊を言い表す用語です。また、WANGGAソングでよくとりざたされる唄を授けてくれるゴーストの特徴を想起させる(一方の足をもう一方の足の膝の上にクロスさせて立つ、あるいは寝転がる「数字の4の脚」に関係している(CD3のJimmy Mulukの「Piyamen.ga」ソングを参照ください)。

それぞれの詩句の頭にあるゴーストの言葉で書かれた歌詞「nyele nye nyele nye」はいくらか変化しやすいようです。Emmi-Mendhe語で書かれた3つめの詩句では「mörö-gumbu」は逐語的には「尻ー脚」で「上から下まで」、もしくは「始めから終わりまで」、ここでは「一晩中」を意味する熟語です。

トラック9

Song 7 : Song from Anson Bay

    Item 1
    ne rrene ne ne rrene ne
    ne rrene ne ne rrene ne
    ee ö

トラック9-10は1959年にBagotコミュニティにてAlice Moyleによる録音です。Moyleが「Songs from Anson Bay」というタイトルをつけたこの唄は、すべてが「ngutj」ゴーストの言葉で書かれており、つまり翻訳することのできない(意味に関係なく音の構成要素としての)言葉であり、ここでの文字の書き起こしはあいまいなものになっています。

トラック9は歌詞のないメロディーを唄うところからはじまって、ゴーストの言葉の歌詞とクラップスティックをたたく音が徐々に浮かび上がるように入ってくる。歌詞は続く3つの詩句の中で少しづつ変化して繰り返されている。トラック10のエンディングと比べた時、トラック9のエンディングではあるべきクラップスティックの最後の1回のタッピングがAlice Moyleのオリジナルの録音ではない。

トラック10

Song 7 : Song from Anson Bay

    rrene rrene ne ne rrene ne
    rrene rrene ne ne rrene ne
    ee ö

トラック10では首尾一貫してわずかに違うバージョンの歌詞で終始唄われています。

トラック11

Song 8 : Robert Man.guna’s Song

この唄は「Duwun(トラック1-2)」の作曲者であるEmiyangalのソングマンRober Man.gunaによる作曲です。この曲の様々な特徴の一致は、この曲が別の「Happy Song」なのかもしれない可能性を指し示している。トラック9-10同様に翻訳できないゴーストの言語が歌詞に使われていて、それぞれの詩句の前に歌詞のないメロディーを唄って始めている。またもや、信頼できる歌詞の文字起しをえることはできませんでした。

トラック12

Song 9 : Happy (lerri) Song No.4

トラック12-14は、トラック2,4,8と同じ葬儀の際にMarettが録音したものです。音楽的特長と歌詞の特長をベースに、トラック12〜14の3曲すべてを「Happy Song」であると判断しました。ここに歌詞の書き起しはありませんが、3曲とも不明瞭で変化しやすいゴーストの言葉で唄われています。トラック12は他の2曲よりも儀式のはじめの方に演奏された曲で、一般的なHappy Songよりもゆったりとした中ぐらいのテンポで演奏されています。

トラック13

Song 10 : Happy (lerri) Song No.5

儀式のまっ最中の演奏では当然のことながら、数ある速いテンポの曲の中でもかなり速いテンポで演奏される。ダンサーたちのあげる儀式的な叫び声「malh」で曲が始まります。トラック13-14はダンサーたちが踊る場所で録音されたので、唄声はやや遠く聞こえます。この2つのトラックからは儀式の生き生きとした雰囲気を感じ取れるため、CDに収録しました。

トラック14

Song 11 : Happy (lerri) Song No.6

この唄もゴーストの言葉だけで書かれていて、通常よりも速いテンポで演奏されています。クラップスティックの叩き方は独特のリズムパターンになっています。