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Ma-yawa Wangga
ジャケット写真
NO IMA-CD7
Artist Charlie Niwilhi Brinken, and more
Media Type CD-R
Area Wadeye and Daly River area
Recorded Year 1998-2000
Label Sydney University Press
Total Time 41:00
Price 13,200yen(7CDs set)
Related Works
Wurrurrumi Kun-borrk Barrtjap's Wangga Mulluk's Wangga Mandji's Wangga Lambudju's Wangga Walakandha Wangga
「Ma-yawa」とはMarri Ammu語でゴースト(祖霊)を意味する。このWANGGAのほとんどはCharlie Niwilhi Brinkenによる作曲だが、彼が唄っている音源は残存していない。このCDの唄のほとんどはMaurice Tjakurl Ngulkurによる歌唱です。

■前置き

■Ma-yawa WANGGA
■ライナーの翻訳

多くのWANGGAソングはゴーストの言語で唄われているため歌詞の内容を明確に追えないことが多かったり、後からソングマンをインタビューして内容を確認しても、その内容は「ゴーストはいつも私(ソングマン)に唄いかけてくる。それを止めることはできない」と言った宣言のような、なぜこういった内容を唄い上げるのか、文化的背景がないと理解できないようなものが多い。


しかし、Ma-yawa WANGGAの内容はMarri Ammu語の人々のドリーミングとドリーミングの場所について唄ったものが中心で、実際に人間が話すMarri Ammu語で描写されているため、歌詞の内容が具体的で物語的で、訳文を読んでいるだけでもおもしろい。

驚くことに、Ma-yawa WANGGAの多くはは歌詞(唄の種類)が変っても2種類のメロディーを使って唄われる。替え歌でもない限り、「歌詞とメロディーがワンセット」というぼくらの常識を覆す音楽的センス!!

唄のメロディーはディジュリドゥの音程に対してオクターブ上の「ミ」という高い位置からスタートする。そして、なだらかに降下するのではなく、一定の音程をキープしながらガクッ、ガクッっと下がっていくため、情緒的・感傷的に響くのではなく、かなり高いキーから始まっているにもかかわらず、どこかフラットで呪術的に聞こえる。

また、Ma-yawa WANGGAを引き継いだこのCDのメインソングマンMaurice Tjakurl Ngulkurの唄い方は、節ごとのアタックが強く荒々しく響くので、1本調子なメロディーラインと相まって、呪文のような独特な雰囲気になっています。

後半に収録されている「Watjen-danggi」と「Na-pebel」の2曲は、それぞれの唄に固有のメロディーが与えられているため、聞きやすく、ややわかりやすく感じられます。

現在、Marri Ammu語の人々の儀式の場ではMa-yawa WANGGAに取って変わってWalakandha WANGGAが唄われるようになっているそうで、Ma-yawa WANGGAは散発的なオープンな儀式で時折演奏される程度だという。現地でも失われつつあるMa-yawa WANGGAの現存する音源を全集的に集めた貴重な内容です。

  ※1. このディスクは出版元ではCDと表記されていますが実際はCD-Rです。お手元でバックアップを取っておくことをおすすめします。

  ※2. このCDは8枚組(7セットで1つは2枚組)の「Wangga Complete CD set」の一部です。単体での販売はしていません。

■前置き

WANGGAはオーストラリア北西にあるDaly川の河口の北と南に位置するDaly地域に根ざすパブリックなダンスソングのジャンルの一つです。このCDは生涯50年以上WANGGAを作曲し演奏してきたソングマンたちに焦点をあてたシリーズのうちの一つです。さらなる情報については書籍「For the sake of a song」(Marett, Barwick, and Ford, 2013)をご覧下さい。

WANGGAソングは、Marri Tjavin語でいうところのWalakandhaと呼ばれる唄を授けてくれるゴーストが、ソングマンの夢見の中でソングマンに唄いかけてくる唄声によって生まれる。けれど、ソングマンが今命ある人間である聞き手のためにWalakandhaが彼に教え伝えたことを再生しなおす時、ソングマンの唄はWalakandhaの言葉であると同時にソングマンの言葉でもあるのだ。この両義性がWANGGAソングを生者の世界と死者の世界をつなぐ掛け橋にしているのだ。

このCDは1998〜2000年の間のWadeyeコミュニティに残存する全てのMa-yawa WANGGA12曲の包括的な記録です。1曲をのぞくすべての曲は故Charlie Niwilhi Brinkenによる作曲です。我々は全部で5回に渡る演奏の機会に触れ、最初の2回は1998年10月のWadeyeとPeppimenartiコミュニティにてMarett教授による録音です。1998年の時点でNgulkurが忘れてしまった唄を記録するためにNgulkur主導で1999年と2000年にさらに二回の録音が行われました。最後の録音は、2008年にMarettとTreloynと彼女の生徒達のためにDarwinにてFrank DumooとColin Worumbu Fergusonによる演奏が収録されています。

それぞれの曲について、書き起した歌詞とその翻訳、曲の背景となる情報が記されています。2005年に出版されたMarett教授の書籍「Songs, Dreamings and Ghosts」にはWalakandhaソングのレパートリーについて広範な論議が行われており、さらなる情報はその第8章にて書かれています。

■Ma-yawa Wangga

Ma-yawa WANGGAは、「ma-yawa」という名で知られるMarri Ammu語の人々の祖霊から、故Charlie Niwilhi Brinkenや故Maurice Tjakurl Ngulkur(Nyilco)らのソングマンたちに授けられたレパートリーです。1960年代後半まではWadeyeコミュニティでよく演じられたレパートリーだったようですが、いったんMarri Ammu語の人々がWalakandha WANGGAを自分たちの親族の儀礼に取り入れると、主な公の儀礼(葬儀と割礼)の場においてMa-yawa WANGGAが使われることはなくなっていった。1998年にPeppimenartiコミュニティでノーザンテリトリー州の行政官が少年を受賞した時のような、勇敢賞や卒業のようなマイナーな儀礼の時にしかMa-yawa WANGGAが聞かれることがなかった。

1曲をのぞいてすべてのMa-yawa WANGGAはMarri Ammu語の古老で画家で法執行官であるCharlie Niwilhi Brinken(1910-1993年)によって作曲されたのだが、我々の知りうる限り、彼が唄ったという録音は一つもない。Marri Ammu語のソングマンであるMaurice Tjakurl Ngulkur(Nyilco)(1940-2001年)がそのレパートリーを引き継ぎ、自身の唄をそれに加え、2001年の11月に亡くなりました。それ以来、彼らの唄が唄われることはほとんどなくなってしまいました。このレパートリーを引き継ぐMarri Ammu語の唄い手は現れなかったが、近年数曲がWalakandha WANGGAのレパートリーに吸収されたようです。Frank DumooとColin Worumbu Fergusonら二人のMarri Tjavin語の唄い手がMa-yawa WANGGAのレパートリーの中の1曲を2008年にMarettに聞かせ、Ngulkurの娘の夫であるMarri Tjavin語の唄い手Charles Kungiungが2009年にBatchelorで行われた葬儀でWalakandha WANGGAと一緒に唄った数曲をBarwickとTreloynが録音した。

Ma-yawa WANGGAのレパートリーはこのWANGGA全集の中でも独特です。ある集団にとってのドリーミング(ngirrwat)とドリーミングの場所(kigatiya)に強く焦点を絞ったレパートリーは他にない。唄の中では儀礼において生者と死者が交り合うために、ある一つの精力溢れるメタファーが繰り広げられる。それが「wudi-pumininy」と呼ばれるMarri Ammu語の人々の土地の北にあるKarri-ngindjiの崖の下にあるという、満潮になると海水の中に沈む淡水の泉です。Rtadi-wunbirriの崖のてっぺんで踊りを舞う死者Ma-yawaについての唄もあり、ある特定の祖先のma-yawaである「オールドマンTulh」に関する唄もある。

こういった死者であるma-yawaに関する唄にくわえて、Ma-yawa WANGGAのレパートリーにはトーテム的な祖先に関する唄もたくさんあります。その中にはドリーミングのふるまい(例えばSong 5 トラック13の「Tjerri」を参照ください)にまつわる明解で意義深い話や、創世物語の唄(例えばSong 12 トラック28-29の「Wulumen Tulh」を参照ください)につらなるものもあります。(一つのドリーミングについて語る時、他のドリーミングについても語らずして言うことはできないので、唄を一つのドリーミングに区別することにはやや無理があるのだが)、Marri Ammu語の人々のドリーミングに関する唄が五つ、ドリーミングの場所に関する唄が四つある。残る三つの唄はそれぞれ儀式や霊に関連があるものの、ドリーミングについてというよりもむしろ人間世界にについて語られている。Song 6の「Watjen-danggi(ディンゴ:オーストラリアの野生の犬)」の唄はおそらく、割礼を前にして隔離の儀礼へと連れ出される一人の少年についての唄だと考えられる。Song 11の「Na-Pebel」はNgulkurrによると、それ自体はドリーミングの場所ではないのだが、それでもma-yawaが集まるある特別な砂州についての唄です。Song 1の「Walakandha Ngindji」はドリーミングとしても現れるMarri Tjavin語の人々の祖霊であるWalakandhaに関する唄です。

Ma-yawa WANGGAの歌い手は自分の土地との関係性をはっきり言い、そしてメロディーを用いてドリーミングとドリーミングの場所を関連づけている。WANGGA全集の他の唄にはこれほど際立った特色は見られない。Ma-yawa WANGGAでドリーミングについて唄う時にはたった二つのメロディーだけしか使われない。それがMarri Ammu語の人々のその祖先のことを象徴している。

■ライナーの翻訳

1.Walakandha Ngindji| 2.Walakandha Ngindji| 3.Walakandha Ngindji| 4.Wulumen Kimi-gimi| 5.Wulumen Kimi-gimi| 6.Rtadi-wunbirri| 7.Rtadi-wunbirri| 8.Rtadi-wunbirri| 9.Rtadi-wunbirri| 10.Menggani| 11.Menggani| 12.Tjerri| 13.Tjerri| 14.Watjen-danggi| 15.Watjen-danggi| 16.Malhimanyirr| 17.Malhimanyirr| 18.Ma-vindivindi| 19.Ma-vindivindi| 20.Karri-ngindji| 21.Karri-ngindji| 22.Thalhi-ngatjpirri| 23.Thalhi-ngatjpirri| 24.Thalhi-ngatjpirri| 25.Na-Pebel| 26.Na-Pebel| 27.Na-Pebel| 28.Wulumen Tulh| 29.Wulumen Tulh
※曲名をクリックするとその曲の解説へ飛びます。

トラック1

Song 1 : Walakandha Ngindji

    walakandha ngindji kiny warri kurzi
    ngata devin bugim rtadi-nanga kuwa
    (mana walakandha)
    [repeated]

    A certain walakandha is living here for a whole year
    All he has is a solitary house with a white roof
    (Brother walakandha)

「とあるWalakandha」と翻訳されるタイトルのこの唄はMaurice Ngulkurによる作曲で、Walakandha WANGGAのレパートリーである「Walakandha No.2」を踏まえたものです。もともとはThomas KungiungとTerence Dumooが同時に夢見の中で授かった曲で、その歌詞はTerence DumooがWadeyeコミュニティから先祖伝来の土地であるKubuwemiへと帰還し、そこで一人で一年間過ごしたときのことが描かれている。Ngulkurはこの唄の中で、Mari Tjavin語の唄らしさを感じさせる構造的特長に馴染むように部分的に修正しながら、Walakandha WANGGAの歌詞をMa-yawa WANGGAのレパートリーで広く使われているメロディーで唄っている。一つの唄の中でMari Ammu語とMari Tjavin語という二つの異なる形式的要素のバランスをとることで、Ngulkurは唄の中に別々の言語であるのに二つの言語に共通したおもしろさを引き起こしている。彼のこういった手法についてのさらなる議論は2005年にMarett教授が出版した書籍「Song, Dreamings and Ghosts」をご覧下さい。

トラック2

Song 1 : Walakandha Ngindji

    ngata devin bugim rtadi-nanga kuwa
    mana nidin-ngin-a kubuwemi mana

    walakandha ngindfji kiny warri kurzi
    ngata devin bugim rtadi kuwa


    All he has is a solitary house with a white roof
    Brother! My dear country! Kubuwemi! Brother!

    A certain walakandha is living here for a whole year
    A solitary house with a white roof is here

2番目の演奏でNgulkurは2行目の歌詞にWalakandhaと土地への呼びかけという新しい素材を加えながら、トラック1の一つ目の詩句の歌詞をアレンジしなおしている。WANGGAでは定期的に儀式で演奏されることのない唄の歌詞は移ろいやすい、とMarett教授は論じている。NgulkurはダンサーとしてWalakandha WANGGAのレパートリーに長年親しんできたということもあり、Mari Ammu語とMari Tjavin語の言語的な近さもあって、Marri Tjavin語の人々と彼らの土地との親密な関係性を表す歌詞をNgulkurが即興的に創ることはなんら難しいことではなかったのだろう。

トラック3

Song 1 : Walakandha Ngindji

    walakandha ngindji kiny warri kurzi
    ngata devin bugim rtadi-nanga kuwa
    mana nadirri na kubuwemi

    walakandha ngindji kiny warri kurzi
    ngata devin bugim rtadi-nganga kuwa
    mana vindiviindi kavulh


    A ceratain walakandha is living here for a whole year
    All he has is a solitary house with a white roof
    Brother! Nadirri at Kubuwemi

    A certain waalakandha is living here for a whole year
    All he has is a solitary house with a white roof
    Brother! Old Man! He is away here

Wadeyeコミュニティでトラック1と2の「Walakandha Ngindji」が録音された後に、Peppimenartiコミュニティでの勇敢賞の受賞セレモニーで録音されたバージョンがこのトラック3です。Ngulkurは詩句の3行目を足すことでさらに歌詞を練り込んでいる。ディジュリドゥの前奏中にNgulkurはとあるオールドマン、あるいはwalakandhaを話題に取り上げようと思っていると語っています。

トラック4-5

Song 2 : Wulumen Kimi-gimi

    wulumen kimi-gimi kavulh-a-gu [repeated]

    This is what the Old Man [ma-yawa] has always done

この唄は、Marri Ammu語の人々の儀式は先祖のならわしに支えられているのだ、と伝えている。歌詞の中の「kimi-gimi」という動詞には広範な意味領域(言語学用語。一つの関連する語彙の集合で表されるまとまりの実在をさす)があり、この唄の場合、唄うこと、踊りを舞うこと、ディジュリドゥを演奏すること、というあらゆる儀式的な活動を含んでいる。ここでは「wulmen(アボリジナル英語でオールドマン)」と呼ばれている祖霊ma-yawaが、開闢以来、アボリジナルの法のより所として据えられてきたということです。

クラップスティックのリズムパターン、イソリズム(全く同じリズムで同じ歌詞を繰り返すこと)、七つのMa-yawa WANGGAで共通しているメロディーの使用など、この唄に見られる様々な要素がMa-yawa WANGGAの特長をしめしている。

トラック6

Song 3 : Rtadi-wunbirri

    wulumen vindivindi kavulh-a-gu [repeated]
    rtadi-wunbirri-wunbirri kisji
    kisji-gisji kavulh-a-gu
    wulmen vindivindi kavulh-a-gu
    [repeated]

    This is what the Old Man [ma-yama] has always done
    At Rtadi-wunbirri, like this
    He has always done it like this

一つ前の曲と同様にこの唄が伝えるのは、祖霊「ma-yawa」によって定められたならわし、アボリジナル英語で「wulmen」、Marri Ammu語で「vindivindi」(ともに「オールドマン」を意味する言葉)を呼びかけるというならわしによって、儀式は支えられているのだと。(本来歌詞の意味を理解するには)「kimi-gimi(do : 〜をする)」という動詞が必要だが、この言葉は唄われていない。Rtadi-wunbirriはMarri Ammu語の人々の土地Tjindi付近のKarr-ngindjiにある崖の頂上の平らな場所です。先祖たちが踊りを舞い続けてきたダンス・グラウンドだと言われています。この唄のメロディーは「Wulumen Tulh(トラック28-29)」と共通です。この録音はNgulkurがPeppimenartiで行われた勇敢賞の受賞セレモニーで唄ったものです。

トラック7

Song 3 : Rtadi-wunbirri

    wulumen vindivindi kavulh-a-gu [repeated]
    nidin-gu rtadi-wunbirri-wunbirri kisji
    kisji-gisji kavulh-a-gu

    wulumen vindivindi kavul-a-gu
    [repeated]
    nidin-gu rtadi-wunbirri-wunbirri kisji

    This is what the Old Man [ma-yawa] has always done
    Country! Rtadi-wunbirri! Like this! He has always done it like this

トラック8

Song 3 : Rtadi-wunbirri

    wulmen vindivindi kavulh-a-gu[repeated]
    rtadi-wunbirri-wunbirri nidin-gu
    kisji-gisji kavulh-a-gu


    This is what the Old Man [ma-yawa] has always done
    At that country which is Rtadi-wunbirri
    He has always done it like this

トラック9

Song 3 : Rtadi-wunbirri

    wulmen vindivindi kavulh-a-gu [repeated]
    nidin-gu rtadi-wunbirri-wunbirri kisji

    wulmen vindivindi kavulh-a-gu
    nidin-gu rtadi-wunbirri-wunbirri kisji


    This is what the Old Man [ma-yawa] has always done
    At that country which is Rtadi-wundirri, like this

このバージョンでは、NgulkurはWalakandha WANGGA草生期に特有な、オールドファッションなクラップスティックのたたき方を用いている。

トラック10-11

Song 4 : Menggani

    menggani kimi-gimi kavulh-a-gu [repeated]

    This is what Menggani has always done

「Menggani」蝶々のドリーミングの場所「kigatiya」はTjindi(Marri Ammu語の人々の土地)から内陸にはいったジャングルに広がっている。トラック10-11の両方で、夕方前の風が周りの木々を揺らす音が聞こえます。ダンサーがいない時には、楽器だけの前奏部がとても短くなる傾向があります。

トラック12

Song 5 : Tjerri

    karra mana tjerri
    wumburri kin-pa-diyerr kayirr-a kagan-dja kisji

    karra mana tjerri
    kin-pa diyerr kavulh purangang kisji

    karra mana tjerri
    kagan-(dja) mana tjerri kin-pa diyerr
    karra mana tjerri
    kin-pa diyerr kavulh purangang kagan-dja kisji


    Brother Sea Breeze!
    The wave is breaking at the creek all along in this place here, like this!

    Brother Sea Breeze!
    It is always breaking at the creek. The sea! Like this!

    Brother Sea Breeze!
    Right here, brother! It is breaking at the creek
    Brother Sea Breeze!
    It is always breaking at the creek. The sea! Right here! Like this!

「Tjerri」ソングは「兄(mana)」と呼ばれる潮風のドリーミング(ngirrwat)と、そのドリーミングの場所(kigatiya)であるMarri Ammu語の人々の南の土地のPumurriyi付近の浜辺に関する唄です。導入部のディジュリドゥだけの演奏の間、Ngulkurは「さぁ、”潮風”の唄をはじめよう。われらのドリーミングだ。」と言っている。このドリーミングの働きかけで潮風が河口で砕け散っているのだ、ということをこの演奏の中でNgulkurは伝えている。「ずっと!ここ、この場所で!こんなふうに」という歌詞は、いまこの瞬間におけるドリーミングの即時性について強調している。そして同時に「川のちょうどここでいつも(潮風が)散っている(逐語的には、「(潮風は)元からちょうど川にそってここで散っている)」という歌詞で創世記にこの同じ場所に祖先のパワーが堆積しているということを伝えている。ここでは最もMa-yawa WANGGAで使われるメロディーが、ときにメリスマ(※1. )的にときに計測不能な手法で唄われていて、歌唱中に瞬間的に変えられる歌詞が選ばれている。

    ※1. メリスマ : 歌詞の1音節にいくつかの音符を当てはめる手法。もしくは、1音節対1音符で作曲されている部分に、2つ以上の音符を移動させるように歌うこと。装飾的な歌唱法という意味では、日本の「こぶし」に似ている。

トラック13

Song 5 : Tjerri

    karra mana tjerri
    (kagan-dja) kinky-ni kavulh
    karra mana tjerri
    kinky-ni kavulh (kagan-dja)
    purangang kin-pa-diyerr kavulh kagan-dja kisji


    Brother Sea Breeze!
    (Right here and now), he is always manifesting himself
    Brother Sea Breeze!
    He is always manifesting himself(right here and now)
    The sea is always breaking at the creek, right here! Like this!

2番目の演奏ではNgulkurrはドリーミング(ngirrwat)の自己創出の様相である内在へと正面切ってチャレンジしている。「Tjerri」の一つ目の詩句の二行目では「彼はいつも今ちょうどここに現れる」とあり、ドリーミングの自己創出の様相を直接的に表現しているのがわかる。それと同時に、現在の瞬間と悠久の時間の交差点を表してもいるのだ。自己顕現という思想が「kiny-ni」という動詞に現れている。「kiny」という自動詞の三人称単数形が「彼は動く」もしくは「彼は意気盛ん」を意味し、三人称男性韻再帰接尾辞「-ni」がつくことで「彼は自らを意気盛んにさせる」という意味になっている。悠久の時間からぱっと出てくるドリーミングの意思は、助動詞「kavulh」によって「彼が横たわっている」あるいは「彼はずっとそれをしていた」となり、「今ちょうどここに」を意味する「kagan-dja」という言葉で現在のこの瞬間に起こる事実だということになる。悠久と現在の交差が、一つ前のトラック12のバージョンよりもより強調されている。

トラック14

Song 6 : Watjen-danggi

    karra mana kayirr-a kani-tjippi-ya kayirr-a
    sandhi-sandhi kimi kayirr-a
    kani-tjippi-ya watjen-danggi

    karra mana wandhi-wandhi kimi kayirr-a
    watjen-danggi


    Brother! He was making footprints as he went
    He looked behind as he went
    Dingo was making his prints

    Brother! He deliberately looked back
    Dingo!

WANGGAソングは葬儀でも割礼の儀式でも唄われるが、割礼のテーマに語りかける唄というのは珍しい。少年が女性社会から引き離され、儀式的行程へと連れ出されて割礼の儀式の前の隔離がなされる時、少年は「watjen-danggi(野生の犬)」と呼ばれる。つまり、この唄はおそらくMarri Ammu語の人々の土地で割礼前の隔離へと連れ出される少年について唄っている。少年がKarri-ngindjiの崖からYilhyilhyenの浜辺へと歩いている時、ちょうどそこに居た自分の親族を見るために振り返るように、野生の犬は振り返る。ディジュリドゥの前奏部ではNgulkurが「”ディンゴ(野生の犬)が砂浜を駆けている”という曲を今からやるよ。正真正銘わしのドリーミングさ。」と語っている。

トラック15

Song 6 : Watjen-danggi

    mana watjen kani-tjippi-ya kayirr-a
    sandhi-sandhi kimi kayirr-a watjen-danggi
    maa kani-tjippi-ya kayirr-a watje-danggi
    yilhyilhyen-gu

    karra mana kani-tjippi-ya kani-tjippi-ya wandhi
    yilhyilhyen-gu


    Brother dog! He was making his prints all along
    He looked right back all along, dingo
    Brother! He was making his prints, dingo
    Towards Yilhyilhyen

    Brother! He was making his prints behind
    Towards Yilhyilhyen

トラック16

Song 7 : Malhimanyirr

    malhimanyirr karri-mi-ga-kap kavulh
    mungirini kap?l kapri-gap kavulh

    [repeated]

    Junglefowl is always making her nest and calling out
    In the dense jungle, she is always piling up and calling out

トラック16と17は「malhimanyirr」ツカツクリ(学名 : Megapodius freycinet )に関する唄です。飛ばない地上性の鳥で、土を積みかさねて作ったツカ(小さな山)を巣にするので、つねに地面を引っ掻き回している。ノーザンテリトリー州の沿岸部でよく見かける。ツカツクリのドリーミングの場所は、Marri Ammu語の人々の土地の南のAnggaleniにある。

トラック17

Song 7 : Malhimanyirr

    malhimanyirr karri-mi-ga-kap kavulh
    mungirini kap? kana-agin
    malhimanyirr karri-mi-ga-kap kanji-nigin kavulh
    mungirini kapl? kanki-ngin

    malhimanyirr karri-mi-ga-kap kavulh
    mungirini kap?l malhimanyirr kanki-ngin


    Junglefowl is always making her nest and calling out
    In the dense jungle, my totem
    My Dreaming, jungle fowl is making her nest, my totem!
    In the dense jungle, my totem

    Junglefowl is always making her nest and calling out
    In the dense jungle, my totem

ツカツクリはMaurice Ngulkur個人のトーテムでした。「kanyi-ngin」は「kanyirra-ngin」を短くした言葉で、逐語的には「わたしのドリーミング」を意味する。この演奏の中で繰り返し使われており、ツカツクリとの関係性を強調している。

トラック18

Song 8 : Ma-vindivindi

    karra mana mani-put-puwa kula
    yenmura kani-put-puwa kisji kavulh

    karra mana kinyi-ni-venggi-tit kani
    karra mungarri kapil kinyi-ni-venggi-tit kavulh

    karra mana kinyi-ni-venggi-tit kavulh
    [repeated]

    Brother is standing up in number four leg
    On the headland he is always in number four leg like this

    Brother keeps making number for leg
    Deep sleep! He makes himself lie in number four leg

    Brother is making himself lie in number four leg

トラック18と19では一人の祖霊ma-yawaについて唄われている。Marri Ammu語の人々の土地にあるKarri-ngindji(トラック20-21 Song参照)の崖の上のドリーミングの場所で、ただただ「オールドマン」について触れている。片足を曲げてまっすぐのばした足の膝の上に交差させる「数字の4の脚」と呼ばれるポーズで、立ったり横になったりしている姿のオールドマンが描写されている。Marri Tjavin語の人々とMarri Ammu語の人々の唄では、唄を授けてくれる祖霊(i>walakandha

あるいはma-yawa)がこの「数字の4の脚」の姿勢でいることがしばしば表現される。唄を与え、授かるときにこの姿勢がとられる。Marri Ammu語の人々のドリーミングに関する唄の大半で使われるメロディーがここでも使われています。

トラック19

Song 8 : Ma-vindivindi

    karra mana kinyi-ni-venggi-tit kavulh
    karra mungarri kapil kinyi-ni-venggi-tit kavulh mungarri

    karra mana kinyi-ni-venggi-tit kavulh
    karra mungarri kapil kinyi-ni-venggi-tit kavulh

    [verse repeated]

    Brother is making himself lie in number for leg
    Deep sleep! He makes himself lie asleep in number four leg sleep

    Brother is making himself lie in number four leg
    Deep sleep! He makes himself lie asleep in number for leg

このトラックではデジタルノイズが入っているところがありますが、トラック18と比較するためにこのトラックを収録しました。

トラック20

Song 9 : Karri-ngindji

    karra mana meri nganggi kani-djet diywrri kuwa
    ma yawa kani-djet na wadi-pumininy-pumininy

    karra mana meri kani-djet kuwa kagan-dja kisji
    meri-gu mana kagan-dja kisti
    mana ma yawa wadi-pumininy-pumininy

    karra mana purangang kagan-dja-nginanga-kuwa
    mana nganggi diyerr meri ngalvu wudi-pumininy-pumininy


    Brother! Our man is sitting at the foot of the cliff
    The ma-yawa is sitting at the freshwater spring

    Brother is sitting right here where the cliff stands up, like this
    It’s brother in human form who is right here like this
    Brother ma-yama! Freshwater spring

    Brother! The tide is coming in on me right here
    Our brother is at the cliff! Many people! Freshwater spring

Marri Ammu語の人々の土地の北に位置するTjindi川のちょうど南につらなる崖Karri-ngindjiは祖霊ma-yawaのドリーミングの場所(kigatiya)です。トラック20-21のこの唄では祖霊ma-yawaは人間の姿をしたドリーミングである「meri-gu mana(兄弟)」として表現されている。崖のふもとには満潮時には海に沈み、干潮時には地面に出てくる真水の泉「wudi-pumininy」で、ma-yawaが好んで座る場所。Marri Ammu語の唄と絵画では真水は生者、海水は死者を表している。真水が海水へと流れ出る場所は、つまり、生者と死者が混ざり合うこと、生者と死者が浸透し合う識閾(無意識と意識のさかい目)を間接的に表現している(それは夢か儀式の場のどちらか)。

この唄の歌詞の一行が長いので、唄い手の息つぎがそっとしていると唄のフレーズの最後の単語を見分けるのが難しくなることがある。ここではNgulkurとAmbrose Piarlumの二人の唄い手がいつもピッタリ合うように唄うことがないとはいっても、前述の唄のフレーズの最後を見分けることの難しさは変わらない。歌詞がこのトラックで聞かれるのと同じくらい変わりやすい時、こういう現象は避けられない。

トラック21

Song 9 : Karri-ngindji

    karra mana wudi-pumininy kagan-dja kurzi [repeated]
    karra mana wudi-pumininy kurzi

    karra mana wudi purangang kisji
    karra mana wudi-pumininy-pumininy


    Brother is right here at the spring
    Brother is at the spring

    Brother! Fresh water and salt water! Like this!
    Brother is at the spring

トラック22-23

Song 10 : Thalhi-ngatjpirr

    meri ngalvu-kinyil kani nidin na kaddi devin kurzi
    kaddi-gu kirriminggi thalhi ngatjpirri kirriminggi


    Lots of people like to go to country that is just for us
    As for us, we say, only we do it [i.e. fish] at Thalhi-ngatjpirr

Thalhi-ngatjpirrはMarri Ammu語の人々の土地の北にあるTjindi付近の魚のドリーミングの場所です。Marri Ammuの古老たちは、遊漁であっても漁業であってもノン・アボリジナルの漁師がこの場所にきて魚を取ることへの苦情を述べていた。この唄はNgulkurがそのことを説明したものです。「kirrimi」という動詞の広義の意味領域では、Thalhi-ngatjpirrで何が起こっているのかということに関して、唄が他の解釈に開かれていることを意味している。

トラック24

Song 10 : Thalhi-ngatjpirr

    meri ngalvu-kinyil kani na nidin kaddi devin kisji [repeated]
    kaddi-gu kirriminggi thalhi ngatjpirr kirrmingi

    Lots of people like to go to our country, which is just for us, like this
    As for us, we say, only we do it [i.e., fish] at Thalhi-ngatjpirr

Colin Worumbu FergusonがバックアップでFrank Dumooが唄うバージョンの「Thalhi-ngatjpirr」を2008年にSally Treloynが録音しました。Dumooはそれぞれの詩句の1行目の歌詞の順番をわずかに変えて唄っており、もともとWalakandha WANGGAの特徴であるAAB歌詞形式で唄われていたのを2行連句形式に変えている。また、ここで使われているディジュリドゥの音程が高すぎるためだと思われるが、メロディーを変えて唄っている。

トラック25-26

Song 11 : Na-Pebel

    mana na pebel nidin vali-ngin-sjit ngunda

    Brother, stand up and show me the country at Pebel

Na-PebelはTjindi川の河口付近にある「pebel(ディリーバッグ : 食べ物の採集のために使われる植物を編んで作ったかばん)」の形をした砂州です。トラック25-26では唄い手は彼の兄弟(ドリーミングを呼ぶのに「兄弟」という言葉が多用されているので、おそらくドリーミングを指している)にNa-Pebelのある方角を指差してくれるよう頼んでいる。Marett教授がこの地をはじめて訪れた時には、実際にNgulkurは砂州の方角を指し示していた。続くトラック27では、唄い手は「Na-Pebelのようなもの」を見せるように頼んでいる。それによってその場所の名前はディリーバッグという物からもらったものだと、つまり場所と物を同一視する関係性を意味しているのかもしれません。ドリーミングに関する唄であるMa-yawa WANGGAにおいて、他のどの曲でも二つのメロディーが使われるが、この唄には「Watjen-danggi」ソングのように固有のメロディーがある。

トラック27

Song 11 : Na-Pebel

    mana thawurr gimin vali-ngin-sjit na pebel [repeated]

    mana thawurr pebel

    Brother, show me the thing that is like Pebel…
    Brother, the thing that belongs to Pebel

トラック28

Song 12 : Wulumen Tulh

    wulumen kidin-mitit-a-gu wulu tulh
    wulumen kidin-mitit-a-tulh
    miyi-gu kidin-mititi-a-gu
    miyi-gu kidin tulh kisji

    wulumen tulh kidin-mititi-a-kisji
    [repeated]
    miyi-gu kidin nal kisji
    kidin-mititi-a-gu

    wulumen tulh kidin-mititi-a-gu kisji
    wulumen tulh kidin-mitit-a-kisji
    miyi-gu kidin nal kisji


    This is what made the old man angry, Old Man Tulh
    It made Old Man Tulh angry
    It was the tucker [Hairy Cheeky Yam] that made him angry
    It was the tucker that made Tulh [angry] like this

    It made old man tulh angry, like this
    It was the tucker [that made him angry] just like this
    This is what made him angry

    Old Man Tulh, it made him angry like this
    It was the tucker that did it, just like this

この唄は祖霊ma-yawaであるWulmen Tulh(オールドマンTulh)とドリーミングTjiwilirr(Hairy Cheeky Yam ニガカシュウ : ヤムイモ科のヤマイモ属)に関する物語について語っている。詳しくは2005年出版の書籍「Songs, Dreamings, and Ghosts」をご覧ください。オールドマンTulhは狩に出たあとキャンプしていたPumurriyiにもどってきた。自分の妻たちが食事の準備をまったくしていなかったのを知って、調理せずに食べると有毒な「tiwilirr(ニガカシュウ)」を生のまま食べた。彼は怒ってあちこちにそれを投げ捨てた。それが今ではPumurriyiでは多く育っている。オリジナルの録音は非常に音質が悪かったが、この唄の重要性を加味してここに加えました。

トラック29

Song 12 : Wulumen Tulh

    wulumen tulh kidin-mitit-a-gu [repeated]
    miyi-gu tjiwilirr nal kisji
    kuwa-butj kani-ya
    kuwa-rrin kisji

    wulumen tulh kidin-mitit-a
    miyi-gu tjiwilirr nal kisji
    [these 2 lines repeated]
    kuwa-butj kani-ya
    kuwa-rrin kisji
    [these 2 lines repeated]

    This is what made Old Man Tulh angry
    It was the Hairy Cheeky Yam, just like this
    He kept thowing it away
    It grows everywhere like this