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Research 林 Jeremy Loop Roots
Jeremy ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
Jeremy Cloakeインタビュー3

Q4 : ヨォルングの文化とヨォルングのイダキの演奏スタイルは、あなたの人生観、音楽そのもの、そしてあなた自身のイダキの演奏にどういった影響を与えているんでしょう?

う〜ん、これはぼくにとってはビッグ・クエスチョンだね。

まずは「ヨォルングのイダキの演奏スタイルがぼくの演奏スタイルにどう影響しているか?」っていう質問。この質問に対するぼくの答えをよりわかりやすくするために、はっきりとしておきたい部分がある。これからぼくが話す中で、「スタイル」という言葉は「イダキのリズムと、そのリズムの中で必要なテクニックを使ったイダキの演奏」という範疇で使いたいと思う。

「ヨォルングのイダキの演奏技術」は、あるリズムを創る時に首尾一貫して使われる特有なサウンドに集約される。それは「 Dhid、Dhit、Dhirrl、Drroom、Dherrk」といったマウスサウンドだ(これらはYothu Yindiの初代イダキ奏者であるMilkay Mununggurrの教則CDで学ぶことができる)。

だから「ヨォルングのイダキの演奏スタイル」とは、楽曲を形成する要素である「ヨォルングのイダキの演奏技術」の組み合せである、と言ってもいいだろう。このような演奏技術にささえられたヨォルングの楽曲は、言語化されて「Dhit dherrk dherrk Dhit dherrk dherrk」といった音声のフレーズとして暗唱される。

すなわち、ぼく自身のイダキの演奏スタイルは、「ヨォルングのイダキの演奏技術」を使ってぼくが作曲したリズムという事なんだ。

Bukulup Ceremony
なぜぼくがこういった手法を使って作曲するようになったかというと、「ヨォルングのイダキの演奏技術」を使って演奏するという事が、イダキを演奏する上で最もエコロジカルな手法だからなんだ。

「エコロジー(生態:生物と環境との関係)」とは、システム内における結果の研究だ。だから、ぼく自身のイダキの演奏のエコロジーを探求することで、ぼくの音に影響を受けた全ての人達と全ての物事がポジティブに作用すると想うんだ。それが全ての事につうじていて、ぼく自身、ぼくの友人や生徒、聴衆、ぼくをとりまく環境、そしてひいてはヨォルングにも関係してくるんだ。

ぼくは、Yirrkalaに住んだ最初の1年目にこういった考え方をするようになっていた。2001年のGarmaフェスティバルでは、ヨォルングではないディジュリドゥ奏者がヨォルングのイダキの伝統に対して敬意を払った上で、できる最も適切なイダキの演奏方法って何なのだろうか?という事をDjaluと話合った。そこでパッとDjaluが認めたのは、ヨォルングではないディジュリドゥ奏者にとって、ベストな方法はヨォルングのイダキの演奏技術を学び、自分自身のリズムを作るという事だ。それ以降、この考え方がヨォルングがイダキを教える時の基本になった。

演奏能力があり熱意にあふれたノン・ヨォルングのディジュリドゥ奏者に、ヨォルングが完全なイダキの楽曲を教えるという事がときにある(実際めったにない)。

だが、ぼく自身は、完全なヨォルングのイダキの楽曲は演奏しないという選択をした。というのは、ヨォルングの中にはノン・ヨォルングが彼らの楽曲を演奏することを不快に思う人もいるという事を知っていたからだ。

Jeremy plays Yidaki
 

イダキを学ぶ一人の人間としては、完全なヨォルングの楽曲を学びたいという意図は非常にすばらしいと思う。けれど、ノン・ヨォルングはヨォルングの儀礼の中でイダキ奏者としては演奏できない。だったら完全なイダキの楽曲を学ぶ目的っていったい何なんだろう?

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