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Research 林 Jeremy Loop Roots
Jeremy ヤス(カラキ ヤスオ)|在豪イダキ奏者
Jeremy Cloakeインタビュー4

Yolngu Elders at Garma 2004
ぼくが思うに、多くの人はイダキの演奏技術や間の取り方といった点でたんにチャレンジとして完全な楽曲を学んでいるじゃないかな。

けれど、ノン・ヨォルングの人々が、ヨォルングのイダキの楽曲をほぼ完全にコピーし、その曲の背景を無視して演奏しているのを聞くと、不快な思いをするヨォルングがいるという事実をもう一度考慮してもらいたい。ヨォルングのイダキの楽曲は、ヨォルングのものなんだ。

ぼく個人の考えとしては、ノン・ヨォルングは完全なイダキの楽曲を演奏すべきではないと思う。そうすることで、それらの唄はあるべき場所にとどまるんだ、アーネム・ランドのセレモニーの中に、ヨォルングと共に。そうすることが、「神聖さ」に敬意が払われているんだとぼくは信じている。

ぼくのイダキの演奏スタイルは、こんなふうにしてヨォルングのイダキの演奏スタイルから影響を受けているんだよ。

じゃぁ次に「ヨォルングのイダキの演奏スタイルやヨォルングの文化が、ぼくの人生観や音楽にどんな影響をおよぼしているのか?」って質問に答えようと思う。

イダキを含むヨォルングの文化は、あらゆる面でぼくの人生観と音楽に影響をしている。もっともぼくに影響をおよぼしているヨォルング文化の一面は、超自然的パワーに対する認識手法、そのプロセス、そしてぼくらの関係性というのもその一部なんだという事だ。

人を含む自然環境へのヨォルングの接し方を見る時、いつもぼくの心に人生や創造の魅力、そして地球上の全ての物事とぼくたちみんな、それぞれの中に内在する美しさを想い起こさせるんだ。イダキっていうのはその表現なんだ。人と人、あらゆる自然環境とのコミュニケーションの中にある超自然的パワー。もし、本当にじっくりと耳をかたむければ稲光が語る何かを、スッと目の前に現れた一匹の蛇が何を語ろうとしているのかを、そしてあまくやわらかな虹の声やおだやかな海の輝きでさえ、その超自然的なコミュニケーションができるんだ。 Ohenro
 

すべての形の中にある関係性の事なんだ。

それが、ぼくにとってはインスピレーションを与えてくれるとてつもなく大きな感覚で、それを胸元やお腹に感じるんだ。ぼくを取りまくすべての自然に対する愛を強く感じるんだ。そして、その結果としてこういった感覚をなにか触れることのできるものにして表現したいという気持ちが生まれた。時には、こういった感覚をイダキを通じて表現することもあるし、インタビューに答えるという形で表現することもある。どんな表現の場であれ、そこにある感覚は「生命はすばらしい。そしてすべての人々を含む自然のなかにある全てのものは美しい」という事なんだ。

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