EarthTube  
Research 林 Jeremy Loop Roots
RG|ディジュリドゥ奏者
Djambawa Marrawili インタビュー

5. Djambawa ミュージック・ストーリー / Numbulwarでの少年時代

G : 「ここであなたのミュージシャンとしての一面についてお聞きしたいんですが。ヨォルングであるあなたがどうやって異なる文化圏であるNumbulwarやGroote Eylandtの唄を知っているんですか?

Baniyala Jungle

Numbulwarにいたからだよ!若い頃は自分たちのクランの唄やディジュリドゥの演奏の仕方を知らなかったので、地元の人たちの儀式によく参加していたんだ。だから自分の唄とは違うかれらのソングラインに加わっていたんだ。

Numbulwarに居た時にはNunggubuyu語のソングラインを聞いていたんだ。彼らのとても古い唄もね。それも今は新しくなってきている。Bungalin-bungalin(※.1)もNumbulwarにあったね。いまだにBeswickの人々はBungalin-bungalinをNumbulwarへと伝えている。

G : 「あぁ、Beswick!Djoli Laiwangaの曲だよね。」

D : 「そうそう!まだ彼は存命かい?それとも亡くなってるの?」

G : 「亡くなってるよ。もう随分前に。」

D : 「アァー、偉大なる人だったよ!オールドマン。」

G : 「当時、彼に会ったの?」

D : 「会ったよ。あの一座の人たちのことは知ってるよ。若い時に彼らのいるとこに居たんだ。」

G : 「どこで会ったの?」

D : 「うーん、70年代か80年代にBeswickとNumbulwarで。かつてGroote Eylandtでフェスティバルがあったんだよ。何て言うんだったかな、カルチャー・ファウンデーション(※.2)に参加していたんだ。フェスティバルによく行ってNumbulwarとBeswickの人たちによく会ってたもんだよ。あぁ、これじゃぁNumbulwarの人だねわたしは。ハハハハハ!Yirrkalaの人たち、Groote Eylandtの人たち、Borroloolaの人たち、あちこちの人たちと会ったよ。とても古いフィルムがあって、それを見れば当時のわたしが映っているよ。」

G : 「あぁ、だからそうやってたくさんの種類の曲を知っているんですね?」

D : 「そう!Dhambarr-dhambarr、Banumbirr-banumbirr(※.3)、なんでも。Jamajama(※.4)、これは新しい唄だね。でも本当は古い唄なんだよ。よく彼らに混じって踊ったよ。とても古い唄。Mungayana(※.5)が唄っていたみたいにね.......。」

G : 「 Arrama (※.6)のブロルガの唄みたいに?」

Flowers on Baniyala beach

D : 「「ヌンガラガリ(スペル不明)、ヌンガラガリ・クラン、知っているとも彼らのことは。彼らはみな亡くなってしまった。みな死んだ。ほんの数人だけがいるみたいだね。Murungunクランの人々、かれらのことも知っている。Jamajamaを唄う人々はNundhirribalaクランだね。Nunggumajbarrクラン、Ngalmiクランの人々もNumbulwarに住んでいる。若い頃Numbulwarで育ったから普段Nunggubuyu語を話してた。彼らは完全に違うクランなのに一つの言語しかないんだ。一つの言語になったのは単に互いにとてもうまく合わさったからだよ。Groote Eylandtみたいにシンプルなんだ。かれらも一つの言語で、ヨォルングとはかなり違っている。」

G : 「けれど、ヨォルングのクランはそれぞれ違う言語を持っているよね?」

D : 「ヨォルングはかれらとは違ってて、それぞれ自分たちの言語を話す。」

G : 「ヨォルングはそれぞれの言語があって、彼らは一つ?」

D : 「Nunggubuyuの人々とGroote Eylandtの人々、かれらは一つの言語を話す。ウォポォイ(スペル不明)と Wagilag (※.7)の人々はWagilagの言語を話す。WagilagはNumbulwarの人たちとはまったく違って、内陸や島からやってきてるんだ。Numbulwarには東や西から人が集まっている。いつもメンズ・セレモニーに行ってたから、そのすべてを知っているよ。」

 


【注釈】

※1.Bungalin-bungalin

世界的に名高いディジュリドゥ・マスタ−故David Blanasiの盟友であるソングマンDjoli Laiwanga作曲の中央アーネム・ランドのソング・サイクル。DavidもDjoliもその大半を南西アーネム・ランドのWugularr(Beswick)で過ごしたため、現在ではWugularrを代表するソング・サイクルの一つになっている。>>戻る

※2. カルチャー・ファウンデーション

おそらく当時Djoli Laiwangaの一座が所属していたAboriginal Artists Agency(AAA)という組織ではないかと予測されるが、詳細は不明。AAAは「Songs of Bamyili(EP/Cass)」、「Songs of the Tiwi(EP/Cass)」、など当時エージェントとしてかかわるアーティストの音源を製作したり、海外ツアーのオーガナイズなどをしていたらしい。>>戻る

※3. Dhambarr-dhambarr、Banumbirr-banumbirr

Dhambarr-Dhambarrはスペルと詳細不明。ヨォルング語のDhambarrは「ログ・コフィン」を意味する言葉だが、Dhanbulの場合は「モーニング・スター(明けの明星/金星)」を意味するが、内容は未確認です。Banumbirrもヨォルング語で「モーニング・スター(明けの明星/金星)」。>>戻る

※4. Jamajama

南東アーネム・ランドNumbulwarコミュニティのNundhirribalaクランの唄。Jamajamaとは「Red Flag」を意味するNunggubuyu語らしい。インドネシアのスラウェシ島からナマコ漁をするためにアーネム・ランドに来ていたマカッサンの人たちとの交流にまつわる曲だという.......。 >>戻る

※5. Mungayana

故Mungayana Nundhirribala。偉大なるソングマンであり、かつては壮絶なディジュリドゥ奏者として知られる。Jamajamaのメインソングマンで「Contemporary Master Series 5 : Nhundhirribala」では彼の伝統曲が収録されている。 60年代にAlice M. Moyleが録音した音源「Songs from the Northern Territory vol.2」にも古いスタイルで唄われている曲の伴奏をしているのが残されている。 >>戻る

※6. Arrama

1938年生まれ。NgalmiクランMandhayung半族のソングマン。「Songs from the Northern Territory vol.2」にて彼の歌声を聞くことができる。 >>戻る

※7. Wagilag

Wagilak/Wagalagなどスペル多数。Wagilagクランは中央アーネム・ランドのDhuwa半族。「Wagilak Sisters/Djang'kawu Sisters」にまつわるストーリーを持つ。詳しくは書籍「The Painters of the Wagilag Sisters Story(英語)」をご覧下さい。 >>戻る

 
(C)2004 Earth Tube All Right Reserved.