EarthTube  
Research 林 Jeremy Loop Roots
RG|ディジュリドゥ奏者
Djambawa Marrawili インタビュー

9. Djambawa ミュージック・ストーリー / Dhadalal - 特別なイダキ

G : あなたのクランのイダキのストーリーを聞かせてもらえますか?

ANKAAAって聞いたことあるかな。このイダキは今度ダーウィンに持って行ってANKAAA(の25周年記念)を祝うんだ。これがDhadalalだよ。われらのイダキはDhadalalと呼ばれている。このストーリーの大部分はボォロコウォイ(スペル不明)と呼ばれる場所、大平原で起ったものだ。そこからBaniyalaに来るときに、別のひらけた平原がある。その場所はニグロウォイ(スペル不明)と呼ばれてる。「ニグロ」みたいだろ?ハハハハハハ!そこはMadarrpaクランの場所、儀礼の場所、Bunggul(ヨォルングで儀式/ダンスを意味する言葉)の場所であり、それをわれらはGarmaと呼ぶんだ。

Nawurrapu & Mayila Wunungmurra

そのひらけた場所はイリチャ半族の人たちにとって集まって儀式を行う場所だったんだ。みなが集まる。その神話の出来事のことを思うと、アメリカに行った時のことを思い出すんだ。南から北から西から東からあちこちから集まった、たくさんのインディアンの人々の会ったんだ。かれらはみな集まって、大きな大きな儀式をしたんだ。

G : あぁ、パウワウ(ネイティブ・アメリカンの人々の踊りの集会・祭)だね。

そう!かれらはパウワウと呼んでいたよ。われらヨォルングにとってはそれがGarmaなんだ。Garmaという名称は(オリジナルの場所の名前から)Gulkulaという場所に与えられたんだ。(Garmaが行われる場所の)オリジナルの名前はGulkulaなんだ。

Buffalo Track on the Beach

G : なるほど!そしたらDjambawa、あなたの名前の意味はなんですか?

Gunda、岩だよ。わたしの名前はDjambawaという名前の岩なんだ。ジャンブウォイマ (スペル不明)はそのまた別の名前で、クロコダイルの名前。クロコダイルが炎を導き、炎はDjambawaと呼ばれる海の上で燃え続けた。それが、祖父の名前であり、父に同じ名前を与え、父から私へと引き継がれている。そう、わたしの兄も同じ名前だったんだよ。けれど、兄は50年代初頭に亡くなったんだ。

50年代にはひどい病気がヨォルングに蔓延した。たぶん、ロバやバッファローもね。すべてが東アーネム・ランドにやってきたんだ。みんなが病気になったんだ。

G : それは白人からの?

そうだよ。さっき話してた「ひらけた場所」でさえもね。GanganコミュニティのオールドマンBirrkitj(Birrkitj Gumana)は人々がばたばたと死んで行くのを見た。骨があちこちにあって、すべての土地土地で人を通じてコミュニティを通じて病いがやってきたんだ。手が.......Yaka Manymak(よくない )状態になる人もいた。

G : それはハンセン病(らい病)?

そう。足や目が悪くなる人もいた。父さんはそれで目が悪くなったんだけれど、彼の智慧は力強く息づいていた。片方の目では見えていたけれど、もう一方の目はとても若い時に悪くしたそうだ。

 
(C)2004 Earth Tube All Right Reserved.